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東京高等裁判所 昭和58年(行ケ)193号 判決 1985年6月27日

原告

矢崎総業株式会社

被告

特許庁長官

右当業者間の頭書審決取消請求事件について、当裁判所は、次のとおり判決する。

主文

特許庁が昭和54年審判第13866号事件について昭和58年7月14日にした審決を取り消す。

訴訟費用は、被告の負担とする。

事実

第1当業者の求めた裁判

原告は、主文同旨の判決を求め、被告は、「原告の請求を棄却する。訴訟費用は、原告の負担とする。」との判決を求めた。

第2請求の原因

1  特許庁における手続の経緯

原告は、名称を「選択吸収面の製造方法」とする発明(以下「本願発明」という。)について昭和50年9月22日特許出願(以下「本願出願」という。)をし、同年11月17日付け及び同54年8月13日付け手続補正書により「特許請求の範囲」及び「発明の詳細な説明」の項を補正したが、昭和54年9月17日拒絶査定を受けたので、同年11月20日これに対する審判を請求した(特許庁昭和54年審判第13866号事件)ところ、特許庁は、昭和58年7月14日「本件審判の請求は成り立たない。」旨の審決をし、その謄本は同年9月19日原告に送達された。

2  本願発明の要旨

1 不銹鋼の表面に黒色酸化処理を施して太陽熱集熱器の選択吸収面を製造する方法において、不銹鋼表面を研磨することによりJIS B0601に規定されている表面粗さRa値0.07μ以下又はRz値0.2μ以下に鏡面仕上げした後、黒色酸性酸化法あるいは黒色アルカリ性酸化法を施すことを特徴とする選択吸収面の製造方法

2 熱媒体が流通する中空部を有するよう局部的に溶接にて接合した2枚の不銹鋼の表面に黒色酸化処理を施して太陽熱集熱器の選択吸収面を製造する方法において、前記不銹鋼表面に溶接にて形成された局部的酸化被膜を除去し不銹鋼表面を研磨することによりRa値0.07μ以下又はRz値0.2μ以下のJIS B0601に規定する表面粗さに鏡面仕上げし、その後黒色酸性酸化法あるいは黒色アルカリ性酸化法を施すことを特徴とする選択吸収面の製造方法

3  本件審決の理由の要点

本願発明の要旨は、前項記載のとおりである。これに対し、本願出願の日前の他の特許出願であつて本願出願後に出願公開された特願昭50―86304号の願書に最初に添付された明細書又は図面(特開昭52―9641号公報参照)には、次の発明が記載されている。

「不銹鋼の表面に黒色酸化処理を施して太陽熱集熱器の選択吸収面を製造する方法において、不銹鋼表面を研磨することによりJIS B0601に規定されている表面粗さRa値0.03又は0.05μに鏡面仕上げした後、重クロム酸ソーダと重クロム酸カリよりなる溶融塩による黒色酸化を施すことを特徴とする選択吸収面の製造方法。」(以下「先願発明」という。)

そして、本願発明の明細書の特許請求の範囲の第1番目に記載された発明(以下「本願第1発明」という。)と先願発明とを比べると、両者は「不銹鋼の表面に黒色酸化処理を施して太陽熱集熱器の選択吸収面を製造する方法において、不銹鋼の表面を研磨することによりJIS B0601に規定されている表面粗さRa値0.07μ以下又はRz値0.2μ以下(先願発明においては、JIS B0601に規定されている表面粗さRa値0.05又は0.03μ)に鏡面仕上げした後、黒色酸化を施したことを特徴とする選択吸収面の製造方法」である点で一致し、「黒色酸化が、本願第1発明は酸性酸化法あるいはアルカリ性酸化法であるのに対して、先願発明は重クロム酸ソーダと重クロム酸カリよりなる溶融塩による酸化法である」点で一応相違している。

そこで、この相違点について検討すると、溶融塩であつても酸性あるいはアルカリ性を呈する場合が多いから、先願発明における重クロム酸ソーダと重クロム酸カリの溶融塩による黒色酸化は、結局黒色酸性酸化法あるいは黒色アルカリ性酸化法の一種であると認められるので、前記相違点に何ら差は認められない。

以上のとおりであるから、本願第1発明は、先願発明と同一と認められるので、特許法第29条の2の規定により特許を受けることができないものであり、結局、本願発明は、特許請求の範囲の第2番目に記載された発明について審理するまでもなく、特許を受けることができない。

4  本件審決の取消事由

先願発明の内容並びに本願第1発明と先願発明との一致点及び相違点が本件審決認定のとおりであることは認めるが、本件審決は、次のとおり右相違点に関する認定判断を誤り、ひいて誤つた結論を導いたものであるから、違法として取り消されるべきである。

本件審決は、両者の右相違点について、「溶融塩であつても酸性あるいはアルカリ性を呈する場合が多いから、先願発明における重クロム酸ソーダと重クロム酸カリの溶融塩による黒色酸化は、結局黒色酸性酸化法あるいは黒色アルカリ性酸化法の一種であると認められる」ので、黒色酸化法について、本願第1発明と先願発明との間に何ら差は認められないとしている。

しかしながら、化学の領域において酸性とは、水溶液において水素イオン濃度を表わす水素指数pHが7未満の場合を指し、アルカリ性とは、水溶液において水素イオン濃度を表わす水素指数pHが7を超える場合を指すものと定義されているところ、先願発明の重クロム酸ソーダと重クロム酸カリよりなる溶融塩による化成処理においては、水は一切用いられておらず、水素イオンが発生する余地は全くないから、溶融塩が酸性あるいはアルカリ性を呈することはありえない。したがつて、重クロム酸ソーダと重クロム酸カリよりなる溶融塩による化成処理を黒色酸性酸化法あるには黒色アルカリ性酸化法の一種に属するとすることは、明らかに化学常識に反する。

しかして、本願出願日前から、ステンレス鋼の表面処理の技術分野において、ステンレス鋼の化成処理法として、溶融塩浴法(又は溶融塩法)と黒色酸性酸化法又は黒色アルカリ性酸化法とは、別種のものとして分類されている。特に、前者は、非水処理をなすものであり、かつ、400℃位の高温で処理されるものであるのに対し、後者は、水溶液を用いるものであり、かつ、100℃ないし140℃くらいの低温で処理されるものである点において、右両者は、基本的に異なるものとされている。引用例における重クロム酸ソーダと重クロム酸カリよりなる溶融塩による化成処理を本願第1発明における黒色酸性酸化法又は黒色アルカリ性酸化法の一種であるとする本件審決の認定は、ステンレス鋼の表面処理の技術分野における技術常識に反するものである。

第3被告の答弁

1  請求の原因1ないし3の事実は、認める。

2  同4の主張は、争う。本件審決の認定判断は正当であり、原告主張の点に何らの違法はない。

本願第1発明にいう「黒色酸性酸化法」は、酸性酸化物を使用して不銹鋼表面を黒色酸化する方法であると読むことができるので、本願第1発明は、実施例として記載された酸(酸性酸化物を水化したもの)を用いる場合だけでなく、酸性酸化物の溶融塩を用いる場合をも包含するものと解すべきである。右のように酸性酸化法を酸性酸化物を用いる酸化法であると上位概念で把握すれば、結局のところ、本願第1発明は、先願発明と同一であるということができる。

第4証拠関係

記録中の該当欄記載のとおりであるから、これを引用する。

理由

1  特許庁における手続の経緯、本願発明の要旨及び本件審決の理由の要点に関する請求の原因1ないし3の事実は、当事者間に争いがない。

2  そこで、原告主張の取消事由の有無について判断するに、次のとおり、本件審決は、本願第1発明と引用発明との相違点についての認定判断を誤り、ひいて結論を誤つた違法があり、取り消されるべきである。

1 先願発明の内容並びに本願第1発明と先願発明との一致点及び相違点が本件審決認定のとおりであることは、原告の自認するところ、本件審決は、両者の右相違点についての判断において、先願発明における重クロム酸ソーダと重クロム酸カリよりなる溶融塩による黒色酸化は、「溶融塩であつても酸性あるいはアルカリ性を呈する場合が多いから、結局、黒色酸性酸化法あるいは黒色アルカリ性酸化法の一種であると認められる」ので、黒色酸化法について本願第1発明と先願発明との間に何ら差は認められないとしている。

2 しかしながら、成立に争いのない甲第10号証(新版「表面処理ハンドブツク」、昭和44年8月30日産業図書株式会社発行)によれば、ステンレス鋼(不銹鋼)の着色のための化成処理には、低温黒色酸化法、溶融塩浴法及び電解酸化法の3種類に分類することができ、これらの方法は更に、(1)硫化酸化法、(2)酸性黒色酸化法、(3)アルカリ黒色酸化法、(4)溶融塩浴法、(5)電解酸化処理法に分けられるものであるが、このうち、酸性黒色酸化法は、標準的には、硫酸180部、重クロム酸ソーダ60部、水250部、温度98℃~100℃、時間15分~30分の条件で処理する方法であり、アルカリ黒色酸化法は、エバー・ブラツクで行つているものの概要は苛性ソーダ13%~15%、硫酸及び硝酸塩の水溶液に過酸化鉛と水酸化第2鉄とを加えた液で、104℃~106℃で30分~40分間処理する方法であるのに対し、右甲第10号証及び成立に争いのない甲第11号証(「ステンレス鋼便覧」。昭和48年8月30日、日刊工業新聞社発行)によると、溶融塩浴法は、重クロム酸塩の溶融浴中で400℃で30分~40分間処理するする方法であることが認められる。

そうすると、酸性黒色酸化法あるいはアルカリ黒色酸化法と溶融塩浴法とは、本願発明の特許出願前から、ステンレス鋼の表面処理の技術分野における技術常識として、別種のものとして分類され、処理方法も、前者が100℃位の低温による水溶液処理であるのに対し、後者が400℃位の高温による非水処理である点が明確に区別されていたとみるのが相当である。

しかして、右認定事実に成立に争いのない甲第1号証の2、3(本願出願の願書に添付された明細書)、第2号証(本願発明の公開特許公報)及び第12号証(昭和54年8月13日付け手続補正書)、殊にその「発明の詳細な説明」の項の実施例を総合すれば、本願第1発明にいう黒色酸性酸化法及び黒色アルカリ性酸化法は、それぞれ前述の酸性黒色酸化法及びアルカリ黒色酸化法の範疇に属するものと認めるのを相当とし、他方、前記認定事実に成立に争いのない甲第4号証(引用例)を総合すれば、先願発明の重クロム酸ソーダと重クロム酸カリよりなる溶融塩による黒色酸化法は、前述の溶融塩浴法の範疇に属するものと認めることができる。

してみると、本件審決が、前記のとおり、黒色酸化法について本願第1発明と先願発明との間に何ら差は認められない、としたのは、その認定判断を誤つたものといわなければならない。

被告は、本願第1発明の「黒色酸性酸化法」は酸性酸化物を使用して不銹鋼表面を黒色酸化する方法であると読むことができるので、本願第1発明は、酸性酸化物の溶融塩を用いる場合をも包含すると解すべきであり、そのように上位概念で把握すれば、本願第1発明と先願発明とは差がない旨主張するが、本願第1発明にいう「黒色酸性酸化法」は、前認定説示のとおりに解すべきであつて、被告主張のように解すべき証拠はないから、被告の右主張は採用することができない。

3  よつて、本件審決の違法を理由にその取消しを求める原告の本訴請求を正当として認容することとし、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法第7条及び民事訴訟法第89条の規定を適用して、主文のとおり判決する。

(武居二郎 杉山伸顕 清永利亮)

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